あの時を思い返すと。

ちょうど1年前、震災の当日は会社にいました。
静岡は震源から離れているとはいえ、ビルの5階。
ものすごく揺れていて気分が悪くなったのを覚えています。

揺れていて、電車が止まっていて、余震もあったりして、
電話もつながらなかった。
何となく足元もおぼつかない感じで家に帰りました。
その時にはもう夜は遅くなっていて、安否情報や会見や、いろいろな情報が錯綜していて、今日のニュースや特集番組で流れていたような、被災した家屋の映像や、津波の映像を見たのはもっと後でした。

原発事故もあの時はここまでひどくなるとは思ってもいなかったし、翌日起こった水蒸気爆発も現実味を感じてはいなかった。

実際に直接目で見たわけではないし、感じたわけではないから、報道による情報がいかに大事か、情報を読み違えたり、嘘の情報を流すことがいかに危険なことであるかを実感しました。

その日は一睡もできなかったっけ。

震災の翌日、東京まで出かけました。
元々この日は舞台を見に行く予定でいろいろと計画していました。
この一大事に何をしているんだという方もいるかもしれないけど、自分にとって大切な1日でもあったし、いかなくちゃいけないという使命感があった。
そういわれれば美化していたかもしれないけど、そんな気分でした。
もちろんそれだけで行ったわけじゃないんだけどね。

震災の翌日の都内は山手線が止まっていて、駅はものすごく混雑していて、通り抜けられない状態だったし、東京まで行っても、公演の会場がある池袋までたどり着けるか分からなかった。
幸い、丸ノ内線はある程度動いていたので、そんなに困らずにいけたんだけど、行ったあと、しまっているお店も多かったし、いつ電車が止まるか分からないからより道もできず特に何もできなくて、ラジオ聞きながら近くの公園でずっと何か考え事にふけっていたのかな。
何かを食べたんだろうけどその記憶もないし、ただただそこにいました。

舞台は、滞りなく終了。
今まで見ることがあまりない凛々しい亜季ちゃんの姿がそこにありました。
ラストシーンの心の強い表情は心に焼き付いているし、劇中の台詞の「少しずつ進んでいけば良い」というのもなんか最近になって分かってきた気がします。

震災の後すぐに希望を胸に歩きだし始めようという兆しが見えたのに、今自分たちの胸にその希望の光はあの時のまま輝いているのだろうか。

自分にできることは、限られていてできないことだらけだけど、それをちょっとでもやることが被害を受けなかった人の使命だし、今生きている自分たちは、おこがましいかもしれないけど、なくなってしまった方々の分まで生きていく使命があるのだと思います。


1年経って色々振り返る機会があったので自分なりに整理もついていないのですが書いてみました。